塩野七生「十字軍物語」

2020/08/31

十字軍については、歴史の授業で習っていても、漠然とした知識しかない人が多いのではないでしょうか。

世界史を学んでいない私自身も、十字軍については「分厚い甲冑に十字架のマークをつけて中東に攻め込んだ軍隊」くらいの知識しかありません。

書店で山積みになっていた塩野七生さんの「十字軍物語 全4巻」(新潮文庫)を読んでみました。

十字軍とは何だったのか

ひとことで言うと、十字軍とは「キリスト教の聖地であるイェルサレムをイスラム教徒から取り返しに行こうぜ」という運動のことです。

ご存じの通り、イェルサレムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教それぞれの聖地です。

歴史的な時間軸のみでいえば、紀元前約1000年前にユダヤ教が生まれ、その1000年後にキリスト教が生まれ、まもなくこの地を支配したローマ軍がユダヤ人の立ち入りを禁止しました。

4世紀に入ってコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認してイェルサレムを聖地とし、7世紀にイスラム教が誕生した後は以上3つの宗教が共存する都市となっていました。

このままでいれば十分平和だったのですが、キリスト教徒はイェルサレムに入るのに手数料を払わなければならない等イスラム優位の状況もあり、12世紀にローマ教皇庁が「聖地イェルサレムをイスラム教徒から取り返そう」と画策し始めます。

ここに中世ならではの宗教観が入ってくるのですが、「聖地イェルサレムをイスラム教徒から奪還すれば現世の罪が免罪される」「イスラム教徒を殺すほどに免罪の効果が上がる」などの動機付けが加わり、民衆や王侯の間でイェルサレム奪還の潮流が生まれていくことになります。

十字軍の歴史

いくつかの定義はあるようですが、十字軍は全部で9回、もしくは第8回と第9回を1回分として全8回と数えるのが一般的な定説のようです。

<十字軍の歴史>
第1回(1096〜99年)
:各地諸侯連合軍によるイェルサレム征服
第2回(1147〜48年)
:イスラム勢の復興に対抗しフランス・ルイ7世による出兵が行われるが失敗
第3回(1189〜92年)
:イスラムの英雄・サラディンと英国・リチャード獅子心王が激突し、英国優勢の元でイェルサレム奪還自体は失敗するが和解によりキリスト教信者のイェルサレムへの出入りが認められる
第4回(1202〜04年)
:イェルサレムではなくイスラムの本拠地エジプトを目指すが渡航費不足などにより瓦解
第5回(1218〜21年)
:再度エジプト攻略を目指すが大敗し全軍が捕虜になる
第6回(1228〜29年)
:ローマ帝国・フリードリヒ2世による戦争なしの和解。終始、教皇側の不服を買ったこの十字軍は「破門十字軍」とも言われる。
第7回(1248〜49年)
:フランス・ルイ9世がエジプト攻略を目指すも大敗しルイ9世を含め全軍が捕虜になる(その後身代金を払って解放)
第8回(1270年):フランス・ルイ9世が再出兵するが途上で病死
第9回(1271〜72年):英国・エドワード1世及びルイ9世の弟であるシャルルによる出兵もむなしくイスラム拠点の全てを奪還される

らしくない十字軍

こうして歴史を振り返っても教皇側と各国の情勢、人々の思惑などが統一されず迷走して敗走というパターンを繰り返していますね。

甲冑に身を固めた強い十字軍というイメージが覆りそうになりますが、これは個人レベルの戦闘では強くても軍隊として機能していないことによるもので、連合混成軍を統制してゆくことの難しさがよく分かります。

十字軍が進軍する先々では食料が不足し略奪が行われるなど、とても聖者の軍隊とは思えない振る舞いも多かったようです。

大敗して多くの兵士を亡き者にしてしまったルイ9世が聖人に処せられているのに対し、サラディンとの戦闘に勝って友好関係を結びイェルサレムに平和をもたらしたリチャード獅子心王や、無血でイェルサレムにおける権利を勝ち取ってきたフリードリヒ2世は教皇からそれほどの評価を与えられていません。

現代ならばノーベル平和賞ものだと思うのですが、人間の血を見ないと満足しないというあたりがまさに中世という感じですね。

騎士団という存在

十字軍にかっこいいイメージを持たれていた方は、この経緯や歴史を振り返っていくと幻滅するかもしれません。

しかしながら、リチャード獅子心王やサラディン、フリードリヒ2世といったあたりには現代の我々から見ても素晴らしい人物だと感じる部分も多くあります。
フリードリヒ2世あたりは常識に囚われずヨーロッパとアラブ諸国の架け橋となれる、いまでいうところのグローバル人材のようにも思えます。

十字軍で期待されるかっこよさという点では、この軍の中で光を放つ「聖堂騎士団」「病院騎士団」「チュートン騎士団」といった騎士団の存在があります。

中でも「聖堂騎士団」は「テンプル騎士団」として現代でも多くの映画や創作の中で語られアレンジされている存在ですが、このテンプル騎士団がどういった組織で何をして、最後どうなったのかを知る人も同様に少ないのではないでしょうか。

その顛末を含め、この「十字軍物語」を是非ご一読されることをお薦めします。

最初のうちは少し冗長で登場人物も多く分かりづらいところもありますが、十字軍の歴史を追っていく中での騎士団の運命、そしてその後の歴史に繋がる潮流を第4巻で愉しんで頂ければと思います。